オラオラ教的仏教解釈
お釈迦さまが菩提樹の下ではっと気づいて見られた世界が、科学が進んだ今、私たちが見ている世界に似ているのではないかと思うことがあります。お釈迦さまはこの世界を直感されたのです。そこにはもはや確かな神は存在しません。そのことを執着してはならないと言われたのだと思います。
頼るべきものがないけれど、自分は生きているし世界も存在しています。そうゆう世界を生きていく必要があります。決して答えを得ることができない課題を抱えたまま生きていく必要があります。どう生きていくかに正解はなく、誰のいうことを信じていればよいというわけでもありません。宗教に深くダイブするのを無意味とは思いませんが、誰かの知恵はその誰かの世界の知恵であり、自分の世界はその知恵が生きた世界とは違うでしょう。
必要なことは、そうゆう世界をただ生きていくことで、それが重要に思えます。何を信じて生きたのかではなく、何を思って生きたのか、世界はそれを集めて創られているでしょう。お釈迦さまは人が生きているその世界を見たと言われたのだと思います。
登録:2021-08-13 11:44
更新:2021-08-13 12:27
by りんご89円