信仰の動機
どうやら科学で宗教を否定することはできないそうです。とはいえ、宗教が誤ることがあるのはあきらかで、無条件に受入れて信じることもできなさそうです。それが判明している現代においても、なお深く信仰している人は依然多くいるように見えます。人はなぜ信仰しようとするのでしょう?
宗教に否定的な人は「人の弱さに付け込んでいる」などと言ったりします。これはなんとなくわかるような気がします。宗教を必要とするものが弱さなら、強い人、弱い人はあって、それをあまり必要としない人もいそうな気もします。 じゃあ、信仰している人は弱い人ばかりかというとそうでもなくて、ただ単に道徳的に敬虔な信者である人も多くいるように見えます。
何か頼れるものを求める人と、ただ道徳的に生きようとする人、このふたつは異なる動機のような気がしますが、どちらも多かれ少なかれ誰の中にも存在するため、これを区別して意識することはあまりないような気がします。
想像ですが、お釈迦さまやイエスさまは、道徳的に生きることを求めたわけではなくて、ただ単純に困っている人に救いの一言を言いたかっただけなんじゃなかったかと思います。それがいつの間にか「正しく」生きるための術みたくなっていったんじゃないでしょうか
登録:2021-08-12 17:48
更新:2021-08-12 17:48
by りんご