宗教はなぜ誤るのか?
釈迦やイエスやムハマンドが語ってからずいぶん長い時間が経って、その間、数知れない多くの解釈がその教えに加わえられ、同時に同じくらい多くの災いも招いてきたように見えます。
そもそも、その災いの苦から人を救うために彼らは話したはず。なのに、その教えが元に新しい災いが巻き起こる。のは皮肉です。いくら教えてもらっても、人はどうもそれを正しく理解することができないようです。おそらくこんな寓話も聖書のどこかに預言されている気がします。
どの宗教にも「偶像を拝んではならない」という教えがでてきます。神ではない神を崇めてはならない。ということでしょう。たぶん、神を言葉で理解することも信じることもできないのです。オラが、神とはこうゆうものだといったり、神を信じると言ったとき、その時のその神は、神ではない神、すなわち偶像なのだと思います。言葉になった神は彫られた神と同じくただの芸術にすぎない気がします。
神を信じる場合において神は存在しない。ゲーデル命題ですね。神などいない!と言う人の中にも、偶像を信仰している人は沢山いるでしょう。というか、あきらかに神ではない神を拝んでいるのがあきらかだったりします。
釈迦もイエスもムハンマドも、まさにそのことをそのことだけを伝えたかったのではないかと思います。それに解釈が加えれらえ、いつのまにか宗教になり、教えではない教えを学び、神ではない神を拝んでいるということじゃないのでしょうか?たぶんおそらくそうだと思います。
登録:2021-08-12 17:28
更新:2021-08-16 08:38
by りんご